騒音と戦う。あるいは日本の司法制度について

騒音に苦しむ方たちのためのブログです

騒音被害者が岐阜バーベキュー殺人事件について思う事。



岐阜バーベキュー殺人事件における裁判官の発言に
「被害者に非はない」というものがあった。


は?

 

と思った。なるほど、司法はこういう認識なんだと、同時に納得した。
そりゃ騒音問題はなくならない。騒音被害者にとって最後の頼みの綱である裁判が、この認識なのだから。

 

加害者である野村航史さんは、事件の2年ほど前から被害者一家の騒音に悩まされ、警察に通報したり、苦情を言ったりしていたそうだ。被害者一家はピアノの音が大きくなることのないようにしたり、キャッチボールを控えさせたりしていたそうだが(普通だったら一切やめる)そんな風に気を使っていながら、なぜ26人もの人数でバーベキューをしようと思ったのか。

野村航史さんの騒音によるストレスを、軽んじていたとしか思えない。

しかも気になるのは、野村航史さんが一度バーベキューを注意しに向かったところ、彼を追い返した、というところだ。

もし騒音に気を使っていたのであれば、「うるさかったですよね、すみません」だとか、「少し静かにするように気を付けます」と言えたはずである。なぜ追い返したのか。

結局その態度が野村航史さんの我慢の限界を突き上げ、ナイフによる殺傷事件となった。

いったい裁判官はなぜ被害者に落ち度がないなどとしたんだろう。

騒音被害者の実情はここまで無視されている。

 

そして気になるのが、犯人の野村航史さんはアスペルガー症候群だったことである。

アスペルガー症候群はストレスに弱いことに加えて、聴覚過敏だ。騒音によるストレスは、常人の数倍はあったことであろう。そして減刑理由になったアスペルガー症候群の衝動性も考えてみれば、彼は多大なるストレスを抱えながら、その衝動性をも抑え込み、2年間も我慢していたということになる。

しかし、メディアが報じた周辺住民の反応は冷たかった。「ついにやったかという感じ」「誰が刺されてもおかしくなかった」など、アスペルガー症候群の人間への差別感情を隠そうともしないし、メディアもそれについて肯定している。

ここまで言われている野村航史さんだが、この殺傷事件に至るまで、なにひとつ事件を起こしたという報道はない。彼はアスペルガー症候群特有の挙動の不審さから、ここまでの事を言われているのである。

 

加害者が殺害にまで至ったプロセスを分析せず、ただ殺したから悪い、殺したからすべてを否定されて当然のような態度をとるメディア。

騒音被害の実情を知らず、騒音加害者に落ち度はないなどとする裁判所。

そうしたすべての事柄が、野村航史さんに敵対し、追い詰めている。

これではまた同じような事件が起きる日も近いだろう。